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●市立小樽文学館は、伊藤整生誕100周年であった昨年、2005年6月18・19日、記念講演会・シンポジウムを行いました。会場は伊藤整の母校、小樽商科大学の教室を使用させていただきました。 ●1日目の講演会は、「伊藤整と小樽」をテーマとして、伊藤整のご次男の伊藤礼氏と、伊藤整の伝記的研究の第一人者である、日本大学の曽根博義教授に、人間的な肉づけ豊かな話をしていただきました。 さらに、つい最近、伊藤整の初期の傑作で、小樽を舞台にした小説「幽鬼の街」の翻訳を終えたばかりの、オハイオ州立大学(アメリカ)のウィリアム・タイラー教授にも加わってもらい、国際的な関心と評価の一端を知ることができました。 ●2日目のシンポジウムは「伊藤整の戦後とチャタレイ裁判」というテーマで、内外4人の専門家の基調講演と、質疑応答が行われました。 1950年の「チャタレイ裁判」は、文学表現とそれに対する社会的規制の問題が、日本では初めて本格的に法廷で争われた、文化的・思想的な事件でした。また、伊藤整とっても、彼の幅広い文学活動のなかで、社会に最も大きい影響を与えた事件でした。 シンポジウムはこの裁判を取り上げ、事件の発生と議論の内容に改めて照明を当てました。 憲法学者である小樽商科大学の結城洋一郎教授は、この裁判を憲法問題にさかのぼって改めて検討し、現在的な考え方も示しました。 他方、裁判が起った1950年は、まだ連合国の占領下にあり、強力な言論統制を受けていました。長崎総合大学の横手一彦助教授は、その実体の調査をすすめ、その成果を踏まえて「チャタレイ裁判」をとりまいていた有形無形の圧力に言及されました。 『チャタレイ夫人の恋人』は、日本だけではなく戦後のアメリカ、イギリスにおいても、裁判の対象になりました。オべリン大学(アメリカ)のアン・シェリフ教授は、性表現の自由についての世界的な世論の変化と、司法の対応の歴史のなかで、この裁判をどのように位置づけるかを述べ、国際的な広がりのなかで「チャタレイ裁判」をとらえました。 この裁判は言論の自由に関わる問題であったため、伊藤整はペンクラブや文芸家協会の全面的な支援を受け、マス・メディアの関心をひき、にわかに脚光を浴びる存在となりました。伊藤整はその状況を積極的に利用もしながら裁判を闘い、作家としてもたくましく成長しました。その経緯を日本大学の紅野謙介教授が明快に分析しました。 ●この講演会・シンポジウムには各新聞社やテレビ局も大きな関心を示してくださいました。おかげで市民の関心も高まり、2日間とも150名を越える人たちが集まりましたが、そのなかには東京方面だけでなく、海外からの聴講者もいました。 ●以上のような点で、昨年の講演とシンポジウムは、質量の両面にわたって、一文学館の規模を越え、全国的な学会でも実現できないような、大きな文化的、学問的な成果を挙げることができたと、自負しています。この記録集は、その成果の結晶であり、今後伊藤整に関心を持つ人たちにとって不可欠の資料となることはまちがいありません。