小樽・映画館の時代
開館時間:午前9時30分~午後5時
入場料:一般300円 高校生・市内の高齢者150円 中学生以下無料
「サードベース」場内
かつて小樽は映画館の街でした。
映画が発明されたのは、1895年フランス。早くもその2年後の明治30年、小樽の末広座、住吉座でシネマトグラフ「電気作用活動大写真」が上映されています。
明治42年には活動写真常設館第一号として神田館が妙見河畔に開設。その後、公園館、稲穂館(富士館)、電気館と映画興行専門館が、あいついで開館。大正末期にはすでに10館を数えました。
ちなみに、小林多喜二はたいへん映画が好きで、大正末ころから昭和初めにかけて公園館、電気館、寿館、中央館などでさかんに映画をみてその感想を日記につけています。代表作「蟹工船」など、彼の作品の多くが映画から大きな影響を受けている、とみられます。
戦後、昭和31年から36年にかけて市内の映画館は23館に達し、小樽は人口比で北海道随一の映画館の街となったのです。
けれども昭和30年代半ばには映画人気は陰りを見せ始め、市内の映画館の廃業、転業があいつぎました。56年から58年にかけて、富士館、小樽東映、小樽東宝、電気館、小樽にっかつ劇場があいついで閉館。平成3年、花園映画劇場、6年、小樽中劇会館、そして平成7年(1995)小樽最後の単独映画館、「小樽東宝スカラ座」が閉館し、「小樽・映画館の時代」は、事実上、幕を下ろしました。
企画展「小樽・映画館の時代」は、かつて映画館で使われたポスター、看板、時間表、プログラムなどを展示し、往時の映画館の一画を再現します。また小樽でロケーション撮影が行われた映画、小樽出身の映画人、そして、小林多喜二、伊藤整、八田尚之、山中恒、石原慎太郎ら小樽ゆかりの文学作家と映画の関わりも紹介します。
家族、恋人、知人、あるいは見知らぬ他人どうしが一枚の銀幕に心を集め、ともに笑い、泣き、ときめいた「映画館」という特別な空間が、ひしめくように軒を連ねた時代を振り返り、「街のなかの文化的空間」のありようを、皆さんとともに、あらためて考えてみたいと思います。